消化器内科医のひまつぶし

医療関係を中心に?日々起こった事、思った事書いていこうかと思います。

【研修医時代】心臓血管外科編 その3

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皆様お疲れ様です。

前回の続きを書いていこうと思います。

 

前回の話はコチラから 

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【あらすじ】

ついに始まった研修医生活。はじめは胸部外科からのスタートとなった。

上級医の中森Drとペアとなり初の病棟へ向かうのだった。

 

 

【大学病院の担当】

大学病院では基本複数人で患者さんを診ます。

大体、研修医-主治医-指導医の3人体制であることが多いです。

これを屋根瓦方式と呼んだりします。

研修医と主治医はほぼ固定されていることが多く、他の上級医の先生とは普段あまり接点がない事も多々あります。

指導医は疾患によって変わることがありますが、基本主治医がメインとなって動くようになっています。

研修医はそれにくっつき仕事を学んだり、患者さんの診察を行い報告したりしながら研鑽を積んでいきます。

今回は研修医が僕で、主治医が中森先生、指導医は宮田教授の場合と他の手術を行う先生の場合がありました。

 

 

病棟へ向かう二人。

そこで中森先生のピッチが鳴った。

 

中森「はい、ん?今から行くよー。あ、研修医も連れて行くわ。」

 

話し方はのんびりしているが相変わらず眼が笑っていない。

 

 

どうやら病棟からの催促の電話だったようだ。

少し歩く速さが上がる。

 

 

急ぎ足で病棟に着いた僕は初めが肝心とばかりに挨拶をした。

僕「今日からお世話になります辻と申します。よろしくお願いします!」

 

...

 

...

 

全く反応はなかった。。

 

 

看護「はぁ。よろしく。」

 

数人がかわいそうに思ってくれたのか、ちらりとこちらを見て反応してくれた。

 

 

顔を少し赤らめながら詰所に入ると、少し嬉しそうな顔で中森先生が話しかける。

 

中森「まぁこの時間みんな忙しいしな。研修医の扱いなんてこんなもんよ。」

 

 

また一つ先行きに不安を抱えながらカルテ棚を見る。

 

とは言っても何からすればいいか全くわからず取り敢えず知ってる患者さんのカルテを探し出した。

先ほどカンファレンスで出ていた患者さんのカルテだ。

 

僕「そういえばさっきのカンファの患者さんのMVRって何ですか?」

 

中森「...」

先ほどの嬉しそうな顔はどこへやら。

こちらを振り返ることなくカルテに指示を書き続け、全く反応する気配がない。

 

 

(まずい…これはいかんな...)

 

 

この感覚は以前に味わったことがある。

それは学生の時に病棟での実習があった時だった。

 

 

5-6年生の時に行う全科を周る病棟実習とは別に、

4年生の時になぜか看護師さんにくっついて数日実習するといったものがあった。

 

右も左もわからず、しかも自分の後輩になるわけでもないヘラヘラした僕らに

過酷な勤務中の看護師さんが対応するとあって、それはもはや罰ゲームであった。

 

(何も期待していない、邪魔をするな、黙ってみとけ...)

 

そんな心の声が聞こえてくるような、無表情の顔に冷たい眼。

 

数日であったが、申し訳なさ、悔しさ、恐怖、いろんな負の感情が混ざり合い、

しばらくは病院に出入りする事すらしんどかった時期があった。

 

 

(これが続くとなるともたないな...)

 

 

研修初日とあってどこかまだ物見遊山な気持ちでいた自分を戒める。

昨日までは学生であったが、今日からは患者さんと接していく一人の医師だ。

 

 

研修医にまだ責任はかからないから大丈夫、なんて気持ちでいたらあっという間に2年が過ぎてしまう。

そうなれば、何もできない医者の出来上がりだ。

 

今となったらこのような事が言えるが、当時の僕は漠然とした恐怖感に包まれていた。

 

 

しばらく黙って、中森先生の行動を観察する。

指示の出し方、普段の病棟業務の流れ、カルテの書き方、果ては採血スピッツの置いてある位置までとにかく視野を広げて観察していこう。

 

そう思い観察し始めてしばらくたった頃、

 

 

看護師「先生、ルートキープお願いします。出来ますよね?」

 

【点滴】

点滴を持続的に行うときに、普通の針を刺したままでは動くと危険なので、

プラスチックの針を血管内に留置します。

これをルートキープと呼んでいます。

市中病院では看護師さんが行ってくれるのですが、大学病院では主に研修医の仕事でした(最近は変わってきています)

方法としては金属製の針(内筒)にプラスチックの針(外筒)を被せて、まず内筒で血管を刺し、血液が返ってきたところで外筒を血管内に進めていき留置します。

血管の太さ、走行によって難易度が大幅に変わってきますので、まずはいい血管を探す事が重要です。

 

僕「...」

働き始めて数時間の僕にもちろん出来る訳はない。

 

僕「すいません、先生...」

先ほどの気まずさの中、勇気を出して中森先生に話しかける。

 

中森「おう、流石に出来へんわな。また研修医同志で練習しとけよ。」

そこは意外にあっさりと快諾し、颯爽と患者のもとへ向かう先生。

 

その背中を必死で追いかける僕。 

 

ため息混じりで僕の背中を見る看護師さん。

 

 

まずは信頼を勝ち取ることが何よりも大事だと肌で感じながら、

あっという間に2週間が過ぎていった。

 

 

一旦ここで終了させて頂きます。

最後まで読んで頂きありがとうございました!

 

【研修医時代】心臓血管外科編 その2

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皆様お疲れ様です。

前回の続きを書いていきたいと思います。

 

 

前回はコチラから 

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【あらすじ】

研修医として初めての仕事に就く前日、今後ともに働いていくことになる立花と電話で話し心を落ち着かせた僕。その翌日、ついに研修が始まった。

 

 

「さて…行くか。」

 

初日の朝はカンファレンス(会議)のため朝7時半集合だった。

国家試験に合格後、怠惰な生活をしていた僕は、その緩んだ体に少し眠気を残し病院へと向かった。

 

病院の自動ドアをくぐる。

 

(さぁ始まりだ)

 

眠気なんてものはすぐに吹き飛び、胸部外科の医局へと向かう。

 

 

僕「失礼します!」

医局のドアをノックし、少し待ってからドアノブに手をかける。

緊張からか少し重く感じるドアを開くと、先生方が数人ソファに腰かけテレビを見ていた。

 

??「おっ、ガンバ勝ってるやん。やっぱこいつ上手いわ。」

 

??「先生サッカー好きですねぇ。...ん?」

 

 

こちらに気付いた、やや細身の先生が話しかける。

 

中森「あ、今日から研修する先生?僕、中森っていうんでよろしく。」

 

坊ちゃん刈りに細い目をし笑顔で話しかけてくる中森先生は一見気さくそうに見えるが、目は笑っていない。フレームレスの眼鏡が冷たい印象を強くさせた。

 

重野「重野って言います。よろしく。」

さっきテレビを見ている時とは打って変わって、仏頂面をしている。

その少し焼けた肌に強面っぷりが相まってかなり怖い...

 

(…やっていけるかな。)

 

 

不安を押し殺して、出来る限り明るく挨拶をする。

僕「今日から2か月間お世話になる辻と申します。よろしくお願いします!」

 

 

奥に座っていた数人の先生がこちらを向き軽く会釈する。

 

 

中森「まぁそんなに畏まらずに(笑)もうすぐカンファ始まるしそこらへん座っといて。」

 

言われるがまま席に着き、居心地の悪い空気の中時を過ごす。

テレビがついているのが何よりの救いだった。

先ほどから流れているスポーツニュースを横目で観るも内容は全く入ってこない。

 

 

ガチャ!

 

 

突然勢いよくドアが開く。

 

??「さぁカンファ始めようか!重野!準備せんか!」

 

 

重野「は、はい!もう出来てます!」

 

あまりの勢い良さに、いたずらのばれた子供のように重野先生が戸惑う。

 

 

(これが宮田教授か...)

 

宮田教授は若くしてその手術成績が認められ教授となった。

きっとすごい人なんだろうな、位の気持ちで構えていた僕はその雰囲気にあからさまに委縮した。

 

宮田「ん?なんだ、研修医か!今日からよろしくな!自己紹介してくれ。」

 

あまりの早いテンポに皆戸惑う中、再度挨拶をする。

 

僕「よ、よろしくお願いします!辻 徹 (ツジ トオル)と申します!2か月間お世話になります!よろしくお願いします!」

 

混乱の中一瞬で自己紹介を終える。

 

教授は一瞥もくれず、先日手術を行った患者さんのレントゲン、CT画像を見始めている。

 

宮田「おーし、研修医有難う。じゃあ重野話してくれ」

 

 

重野「先日行ったMVRの患者さん、バイタルは安定しておりレントゲン上も心拡大増悪していません。あと…」

 

専門用語が立ち並び全く訳が分からない。かろうじて初めの部分だけ聞き取る。

 

(MVRって何だろう??後で調べなければ…)

 

その後も医局員による入院患者のカンファレンスが続くが、教授のスピード感が伝播しているのか30分もしないうちに終了した。

 

宮田「おーし、特に重症化している患者はいないな。この時期はスタッフも交代する時期だから手術は4月16日までないので皆、束の間の休息楽しんでくれ(笑)」

 

教授は笑みを浮かべながら、すぐに医局を去っていった。

 

全員の雰囲気が少し和らぐ。

普段ならこのまま手術に向かうのだが、束の間の休息を得た皆の動きはゆっくりであった。

 

その緩んだ空気の間に残っている先生と話せるだけ話し、少し仲良くなった。

 

 

(2週間も手術ないのか...まぁ楽だけど拍子抜けだな)

 

そんな気持ちでいるのを察したのか中森先生が話しかけてくる、

 

中森「先生、2週間後から地獄が待ってるから今のうちに出来る事やっとかなあかんで。」

 

僕「は、はい!頑張ります!」

気持ちを見透かされたことに焦りながら返事をする。

 

中森「先生、僕とペアやからよろしく。まずは一緒に病棟いこっか。」

 

僕「よろしくお願いします。」

 

右も左もわからず元気な印象だけを皆に与え、病棟へ向かっていくのであった。

 

 

一旦ここで終了します。

最後まで読んで頂きありがとうございました!

【研修医時代】心臓血管外科編 その1

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皆様お疲れ様です。

今回は研修医時代の話を書いていきたいと思います。

思い出補正を交えながら、1つ1つ周った科について書きます。

多分長くなるのでいつも通りぶつ切りになると思います(汗)

 

また大学病院での働くシステムや各科についての話も交えますので、

読み終わるころには大学病院で働いた事あるかのような話が出来るようになっているかも知れません(笑)

 

途中で医療情報のブログもはさみながら書いていきますので、

ゆるりとお付き合いいただければ有り難いです。

 

 

【研修医の働き方】

大前提を説明していませんでした。

昔は自分が働いていく科を決め、研修医になった時点からずっとその科で働くシステムでしたが、僕らの働く頃からシステムが変わりました。

スーパーローテート方式というシステムで、ざっくり言うと2か月毎に指定された科を周り研修していくというシステムです。

これにより様々な科での研修が積めてジェネラリストを目指せる、みたいな話が出ておりましたが実際は2か月で学べることは少なくかなり積極的にいかないと雑用係で終わってしまうシステムです(気付くのに大分かかりました(笑))

今は少し変化しているようですが基本は同じシステムで動いています。

僕の初めに周る科は胸部外科でした。(タイトルと違うのは後々説明致します)

  

 

 

医師国家試験に受かり4月1日から働くことになった僕。

期待と不安を胸に日々は過ぎ、ついに前日となった。

 

そこに一本の電話が入る。

 

??「お疲れさん!明日からいよいよ仕事始まるな。準備とかできてる?」

 

聞いてきたのは、6年間共に軽音楽部でバンドを組んでいた立花だった。

 

僕「まぁそこそこかな。何していいかもまだ良くわからん(笑)立花は明日からどこの科周るん?」

 

立花「俺は明日からハラゲやわ。お前は?」

僕「俺はムナゲやわ。」

 

【外科系】

外科といっても様々な科に分かれています。

 

骨や関節等を中心に診る整形外科。通称セイゲ、セイケイ。

脳、神経、脊椎などを中心に診る脳神経外科。通称ノウゲ。

肝臓、膵臓、胃腸、等の腹部を中心に診る腹部外科。通称ハラゲ。

心臓、肺など胸部を中心に診る胸部外科。通称ムナゲ、キョウゲ。

 

主だった科はこの4つで、僕の研修した大学ではこの中から希望の科を選択して2か月研修を行っていました。

 

手術を行うという意味では他に、

欠損した部位を治療し形態的(見た目)に改善させる形成外科(美容整形はこの科の先生が行っています)、

婦人科、泌尿器科、皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科、口腔外科等がありました。

 

 

立花「ムナゲ!?めちゃ大変なとこやん。よく選んだな...」

 

僕「まぁ循環器内科目指してるし、一応心臓みとかなあかんかなと思って。まぁ修行やと思って頑張るわ。」

 

当時僕は循環器内科を目指していた。

心筋梗塞をカテーテル治療で治す姿を夢見ていた僕は手術にはあまり興味がなく、正直外科はどこの科でもいいと思っていた。

 

ただそんな事が言えるわけもなく、最もらしい理由と少しは役に立つのではないかという、何故かやや上から目線の考え方で胸部外科を選択した。

 

 

…後に甘い考えだったと思い知ることになる。

 

 

立花と少し雑談を交わし電話を切る。

 

少し手術に向けて解剖学の勉強を復習し早めに床に着いた。

 

そしていよいよ医者としての人生が始まった。 

 

 

 

一旦ここで終了させていただきます。

ゆるりゆるりと更新して行きます(^_^;)

 

最後まで読んで頂き有難うございました!

【ちょっと情報】腸管の癒着とは

皆様お疲れ様です。

久しぶりに医療情報を紹介していきたいと思います。

 

今までも何度か話に出たことがありますが、よく患者さんから質問される腸管の癒着について説明させて頂きます。

 

【癒着とは】

【癒着の原因】

【癒着の起こる時期】

【癒着の治療法】

【癒着の対処法】

 

【癒着とは】

癒着というのは炎症が起こることによって組織と組織がくっついてしまうことです。

お腹の中には様々な臓器がありますが、一番動いている臓器は腸管(小腸、大腸)です。

この腸管の組織が、お腹の中の組織とくっつくことで動きが悪くなってしまうと、食物の運搬機能が落ちてしまい、腸閉塞(イレウス)を引き起こすリスクとなってきます。

 

【癒着の原因】

癒着が起こる原因としては、

①手術 ②腹腔内の強い炎症 ③その他 があります。

①手術

一番多いのは手術です。手術によって傷ついた組織がお腹の中で修復される際に腸管の外壁の組織とくっついてしまい、腸管の動きが弱まってしまいます。

特に子宮や卵巣、膀胱などの下腹部の手術後はS状結腸という大腸の癒着が起きやすく(その他でも起きる事はあります)後々問題になることが多いです。

 

②腹腔内の強い炎症

炎症が起きると手術と同様に癒着が起きます。

腹腔内の強い炎症の例としましては、

胆嚢炎、急性膵炎、卵巣炎、虫垂炎、結腸憩室炎などがあります。

また急性腸炎や腎盂腎炎などもかなり強い炎症になれば癒着が起こることもあります。

 

③その他

他には癌が腹腔内に転移してしまう腹膜播種などでも起こってきます。

 

【癒着の起こる時期】

ここがよく聞かれるのですが、癒着はすぐには起こりにくいです。

10年20年前の手術が原因で癒着が起こったりなんて話も多々あります。

なので上記の起こるリスクのある方は今後注意は必要です。

 

【癒着の治療法】

残念ながら癒着を治す薬はありません。

唯一癒着を物理的に剥がす手術(癒着剥離術)はありますが、手術になりますので体へのダメージが強いのと、この手術にても癒着が起きてしまう事もあります。

 

【癒着の対処法】

癒着が起きても症状がなければ経過観察で大丈夫ですが、

先ほども書きましたが腸閉塞が起こり易くなるので便通には注意が必要です。

便秘、腹痛などがひどくなるなどの症状が出てくる場合は内服を開始します。

その場合は消化器内科にて内服薬の調整を行っていきます。

一番よくつかわれるのが

大建中湯

という漢方薬です。

これは手術後の癒着に対して効果的とのデータも多く示されておりかなり有効です。

基本的に便が詰まらない様、常に動かす必要がありますので内服はずっと継続する必要があります

 

これでダメなら、薬を追加していきます。

 

僕の使用例としましては、 

●腸管を動かす薬として

ガスモチン、ナウゼリン、プリンぺラン、センノシド、ラキソベロン等

 

●便を柔らかくする薬として

酸化マグネシウム、アミティーザ、最近ではリンゼス、グーフィス、モビコール等

 

●腸管ガスを減量する薬として

ガスコン

 

これらを組み合わせて使用していきます。

個人によって内服の効き方も違うので正解の処方は1つには決まりません。

もし昔に手術や大きな炎症を罹患され、現在便秘、腹痛などの症状で悩まれておられる方いらっしゃいましたら一度消化器内科を受診してみて下さい。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

【雑記】優しい笑顔 最終話 闘病編【5日目 後編】

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皆様お疲れ様です。

前回の続きを書いていこうと思います。

 

ついに最終話になりました。よろしくお願い致します。

 

前回はコチラから 

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話の始まりはコチラから 

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【あらすじ】

化学療法班を周る新人の僕は32歳という若い大腸癌患者Aさんの担当になった。
自信を取り戻した僕はもう治らない状態である事をAさんに伝えた。

そして最期の入院生活が始まった。

 

【5日目】

 

Aさんのベットはカーテンで覆われていた。

その向こうにうっすらと影が映る。

 

僕「Aさん、おはようございます。」

 

ゆっくりとカーテンを開けて中に目をやる。

 

 

そこには少しやつれたAさんがいた。

 

A「あぁ、先生。おはようございます。昨日からかなり痛くなって痛み止め追加してもらったんですよ。」

 

いつものはにかんだ顔でこちらを見ている。

 

僕「僕も驚きました。…痛みますか?」

A「今はだいぶ落ち着いてますよ。この注射よく効くわ~。」

 

Aさんは終始落ち着いた調子で話している。

心を許してくれているのかその口調も滑らかで少しくだけている。

 

僕「痛みが強くなったらすぐに言ってくださいね。」

A「ありがとうございます。あ、血液検査はどうでしたか?」

 

僕「すいません。まだ結果が出ていないのでまた出たら持ってきますね。」

A「お願いします。」

 

気持ちを奮い立たせたとはいえまだ混乱の残るこの状態では、

何て声をかけていいのかもわからない。

血液検査もきっと悪くなっているのだろう…

 

結果が出るまでに一旦気持ちを整理しなければ。

 

挨拶を済ましこの場を立ち去ろうとした時だった…

 

 

A「先生、僕もう長くないですかね。」

 

Aさんが不意に話しかける。

今いる部屋に入院しているのはAさんだけであり、部屋には二人きりとなっていた。

 

僕「…え?」

戸惑いを飲み込んでAさんの方へ振り返る。

 

僕「…確かに痛みは出てきましたね。いい状況とは言えないかもしれません。」

A「…そうですよね。…子供、、産まれてくる子供に会えますかね?」

 

Aさんはいつになく真剣な表情でこちらを向いている。

 

僕「…」

 

絶対に無理だ。ここまで来たら僕にでも分かる。

 

 

僕「…現状はいい状況ではありません。どうなるかはまだわかりませんが。」

 

 

認めたくない自分もどこかにいたのだろう。

これ以上は話せなかった。

 

 

…Aさんは笑った。

 

A「…先生は正直やね。ずっと気を遣ってくれてたのわかってたよ。」

A「いやなこと聞いてしまってごめんね。」

 

Aさんは僕の方を見ている。

少し眉をひそめるようにして寂し気に笑う顔は優しかった。

 

 

A「先生、表情に出るから何考えてるかすぐにわかるよ(笑)」

 

こんな時でもAさんは冗談っぽく気遣ってくれた。

 

 

A「…先生はこれから一杯経験して立派なお医者さんになってな。」

 

A「…それでいい薬開発してくれたら皆助かるだろうし僕もうれしいわ。」

 

A「…約束やで。」 

 

A「…」

 

 

A「…ありがとう」

 

 

 

もうまっすぐ見ることは出来なかった。

涙でにじむ視界を隠すように深く礼をしその場を後にした。

 

 

血液検査の結果はどれも悪くなっていた。

もしかしたら腸に穴が開いたのかも知れないという話になったが、

もはや為す術はなかった。

 

家族には上司が説明した。

妻はもちろん泣いていた。子供はまだ状況がよく解っていないようだった。

 

お腹の中の赤ちゃんが無事に元気に産まれて欲しい。

 

そう思いながら僕は上司の話を聞いていた。

 

 

 

…その2日後、Aさんは息を引き取った。

 

 

周りで泣く家族とは対照的に、 

最期の顔も優しかったのが印象的だった。

 

 

葬儀会社の車に乗りAさんと家族が遠ざかっていく。

 

 

深くお辞儀をし終えた後、上司が軽く肩を叩く。

 

上「…お疲れ様。」

 

 

僕「…有難うございました。」

 

多くを語らない上司の後姿を見てAさんとの約束を思い出す。

 

この経験をあとどれだけ刻めば立派な医師になれるのだろう。

 

途方もない道のりだが、今日確実に一歩踏み出した。

 

そんなささやかな自信を寂しさで包み医局へ戻っていく。

 

 

 ふと後ろを振り返る。

 

「...ありがとう。頑張れ。」

あの優しい笑顔が僕の背中を押した。

 

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございました!

 

【雑記】優しい笑顔 その15 闘病編【5日目 前編】

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皆様お疲れ様です。

前回の続きを書いて行きたいと思います。

最近少しドタバタしてアップできていませんでした。すいません。

 

あと2話で終了です。

 

前回の話はコチラから

 

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話の始まりはコチラから

 

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【あらすじ】

化学療法班を周る新人の僕は32歳という若い大腸癌患者Aさんの担当になった。
自信を取り戻した僕はもう治らない状態である事をAさんに伝えた。

そして最期の入院生活が始まった。

 

【5日目】

 

曇天に光は遮られ、その日はあまり気持ちのいい朝とは言えなかった。

とはいえ、リフレッシュできた僕は軽やかな足取りで医局についた。

 

 

そこで何気なく医局のパソコンの画面を開く。

医局のパソコンからでも患者さんのデータは見れるようになっている。

 

 

普段は病棟にすぐに向かうのだがこの日は違った。

これが虫の知らせというやつなのだろう…

 

 

自分で予約を入れたわけでもないのになぜかAさんの「検査結果」のボタンを押した。

 

 

今日の日付で検査結果が表れる。

とは言ってもまだ9時なので一部の結果だけが表示されている。

 

 

(血液検査がオーダーされている?)

(…何かあったのか?)

 

 

立ち込める不安を押し殺すようにN病棟へ急いだ。

 

 

N病棟につくとそこには上司がいた。

 

 

上「あ、先生。おはよう。今日家族さんが来られる日なんやね。僕話すよ。」

僕「え?あ、はい…」

 

 

何が起こっているのかわからないが、

確実に良くはないであろう雰囲気だけは感じ取った。

 

 

僕「あの…何かありましたか?」

上「うん、昨日の昼くらいから何やけど…」

 

上「痛みが強くなってきて全く抑え込めなくなったんよ。」

 

 

上「…なので麻薬導入したんやわ。」

 

僕「麻薬ですか…」

 

 

【癌性疼痛と医療麻薬】

癌が増悪してくると様々な原因から痛み(疼痛)を感じてきます。

現在は極力疼痛を感じないようにコントロールしていく事が良いとされており、

そのためにWHOの定める疼痛ラダーに従って投薬を決定します。

 

と言っても難しい話ではなく、

STEP1はロキソニンに代表されるNSAIDsという種類の薬剤を使用して、

 

それでも駄目ならSTEP3の医療麻薬を使用します。(モルヒネとかです。)

基本麻薬は疼痛に応じて使用する分には依存性は低いですので、いわゆる犯罪の麻薬とは一線を画します。

 

ちなみにSTEP2に準麻薬(トラマールなど)という設定もありますが、すぐに麻薬に移行することが多い事や、麻薬をすぐに準備できない国なども考慮して作られたSTEPなので飛ばしてもよいことになっています。

 

後は症状に応じてその他の薬剤も並行して使用し疼痛を管理していきます。

 

ただし麻薬を使用すると必ず起こる副作用があります。

それは嘔気、眠気、便秘です。

 

 

 

僕「先生、イレウスでしたけど麻薬は大丈夫なんですか?」

 

上「その通りやね。麻薬のせいで腸の動きはさらに悪くなる…」

上「もう、飲水はしない方がいいかな。予後も恐らくかなり厳しいかな…」

 

僕「え…どれくらいなんですか?」

 

上「うーん…でも週明けまでもたないかもしれないね。」

 

 

今日は金曜日…あと2日、3日しかもたない…

 

 

上「家族にもこの話はしないといけないから…僕が話すね。」

 

僕「…よろしくお願いします。」

 

 

予想だにしない展開の速さに気持ちが追い付かない。

一昨日のあの朗報は何だったんだろう。

 

それを僕は大喜びして、Aさんにその喜びを伝播させてしまった。

ぬか喜びさせただけじゃないか…

 

自責の念が胸の内から広がる。

 

 

上「しょうがないよ…しんどかったら後やっとくし先生は他の患者さん診てくれてていいよ。」

 

残念そうにはにかみながら話す上司の気遣いの言葉が胸に刺さる。

 

きっと、何度もこのような思いをしてきたのだろう。

 

その口調には優しさと少しの冷たさ、そして必ず前に進む凄味を感じた。

 

 

「責任を持って立つ事はこういうことだ」

 

 

そう言われているような気がした。

 

 

 

【出来る事を出来る限りやる】

 

この言葉を思い出し、自分の気持ちを奮い起こす。

 

 

闘っているのはAさんだ。

僕が逃げるわけにはいかない。

 

僕「…ありがとうございます。でも大丈夫です。Aさんに会ってきます。」

 

 

そういってAさんの部屋へ向かった…

 

 

 

一旦ここで終了させていただきます。

最後まで読んで頂き有難うございました!

【雑記】優しい笑顔 その14 闘病編【4日目】

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皆様お疲れ様です。

前回の続きを書いていきたいと思います。

 

前回の話はコチラから

 

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話しの始まりはコチラから 

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【あらすじ】

化学療法班を周る新人の僕は32歳という若い大腸癌患者Aさんの担当になった。
自信を取り戻した僕はもう治らない状態である事をAさんに伝えた。

そして最期の入院生活が始まった。

 

【4日目】

  

4日目は一日外勤の日だった。

 

週に1日大学の関連病院に手伝いに行く。

とは言っても、駆け出しなので大変な業務はまだ少なく、大体夕方16時ごろには終わる。

 

いつもなら仕事を終えた後、大学病院に戻り患者さんの状態をチェックするのだが、

 

 

「この日僕一日いる日やし、大学に帰ってこなくてもいいよ。たまにはゆっくりし。」

  

...と、上司から温かい言葉を受け、張り詰めた気持ちを一旦リセットすべく外勤先からそのまま家に帰った。

 

 

(昨日良くなってきてたし大丈夫だろう)

 

 

突然の休息で特にこれといってする事もなく、

コーヒー片手にのんびりラジオをかける。

 

コーヒーから立ち上る香りは心なしか優しく感じた。

 

 

軽快な音楽とともにDJが淀みなく喋っている。

 

どうやらマイケルジャクソンの映画が公開されるらしい。

そういえば前に亡くなったんだったな...

 

少し気になり、パソコンで調べ始める。

死因は...プロポフォールの過量投与なのか。

 

不眠症で苦しむ彼は、医師がついていないと使用できない程の強い麻酔薬を単独で使用していたらしい。

 

細かい事情は分からないが、他に方法はなかったのだろうか?

 

 

自分ならどうするかと、色々と案を考える。

 

 

(そういえば、以前精神科で研修してた時に不眠症の薬勉強してたな)

本棚を漁り始める。

 

端に追いやられていたその本は、1年ぶりに再び日の目を浴びる。

 

 

【マイケルジャクソンへの不眠症治療】

 

この何の情報もなく、検証しようのない症例に対して

自分なりの答えがでる頃には、外は暗くなっていた。

 

 

明日はAさんの家族が来る日だ。

厳しい話をAさんが家族に伝えてくれてたら話しやすいんだが...

家族が初めて聞く場合も考えて慎重に話さないと。

昨日の良い話も交えながら希望を持ってもらえれば...

 

 

説明のシミュレーションを終え床に就いた。

 

夢でマイケルジャクソンに会えるかと期待したが、

その日は夢を見なかった。

 

 

短めですが一旦終了させて頂きます。

最後まで読んで頂きありがとうございました!

【雑記】優しい笑顔 その13 闘病編【3日目】

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皆様お疲れ様です。

前回の続きを書いていきたいと思います。

 

前回の話はコチラから 

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始まりはコチラから
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【あらすじ】

化学療法班を周る新人の僕は32歳という若い大腸癌患者Aさんの担当になった。
自信を取り戻した僕はもう治らない状態である事をAさんに伝えた。

そして最期の入院生活が始まった。

 

【3日目】

 

今日は採血と画像検査の日。

大体10時頃までには検査結果が出そろう。

 

 

結果が出次第すぐに病棟に行きたかったが、

あいにくその日は朝から胃カメラの検査があったため、行くのは少し遅れ昼からとなった。

 

 

N病棟に着き、カルテを探す。

 

いつもはカルテ棚に収められているのだが、その日そこにはなく詰所のテーブルの上に置いてあった。

 

 

僕「あれ?カルテ出てるけど、何かあったの?」

看「いえ、痛み止めの指示を確認してました。」

 

僕「ん?...結構痛がってはる?」

看「いえ、何か少し重たい感じがするみたいです。」

 

 

昨日と同じやり取りが続く。

 

 

...何か引っかかる。

 

そんな懸念を抱きながら、カルテを開く。

 

 

(熱は...ないな。血圧、脈拍...問題なしか。)

 

特にバイタルサインに異常は見当たらない。

 

 

(まぁ腸閉塞だしそれくらいはあってもおかしくはないか…)

 

痛み止めの回数は1日に1-2回と変わっておらず、このまま経過診ることとした。

 

 

僕「さて...」

 

祈りを込めてパソコンに表示された「検査結果」のボタンを押す。

 

 

血液検査は、炎症反応がよくなってきていた。

その他も特に悪くなっている部分は見当たらない。

 

 

僕「よし!」

 

 

続いてレントゲン検査を確認する。

 

 

 

腸閉塞は改善していた。

 

 

僕「ふぅ...」

 

久しぶりの朗報に胸を撫で下ろす。

 

 

(...早く伝えてあげないと) 

 

喜びを抱え足早に病室へと向かった。

 

 

僕「Aさんおはようございます!」

 

A「先生お疲れ様です。どうでしたか?」

 

 

僕「今日はだいぶ良かったですよ!まずは...」

 

喜びのあまり今日の体調など聞くのを忘れ、

早々にレントゲンと血液検査の結果を説明する。

 

 

A「本当ですね!有難うございます。あ、あと便も出ましたよ!」

 

 

僕「本当ですか!良かった。これで管抜けますね!」

 

A「良かったです!」

 

 

朗報が続く。

鼻の管も抜ける、便も出ている。

 

 

次はご飯食べれるようになるんじゃないか? 

そうなれば退院だって...

 

 

そしたらこのまま良くなって来月末には子供の顔見れるんじゃないか?

 

 

いつの間にかAさんの希望は、自分の希望にもなっていた。
 
 
...何とかしたい。
 
…いや何とかなる。
 
 
そう思うようになり始めていた。
 
 
 
夕方にイレウス管を抜いた。
 
Aさんは嬉しそうに笑った。
 
 
 
 
その日の痛み止めの回数は3回だった。
 
 
 
 
一旦終了させて頂きます。
最後まで読んで頂きありがとうございました!